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涅槃会涅槃会とは涅槃(ねはん)とは、梵語のニルヴァーナの当て字で、火などが吹き消されたこと、煩悩の鎮静ーつまり究極的な解脱(さとりの世界)を言います。一般的にはお釈迦様の入滅のことをさし陰暦2月15日に追悼法要のことを涅槃会といいます。また、この地域では「涅槃会は仏法のお正月」としていて、涅槃団子を配る風習が行われています。 涅槃図沙羅双樹の樹下の床の上に。、頭を北に、右の脇を下に、西面して入滅した釈迦の画像があり、そのまわりを弟子、天人、菩薩、鬼神、禽獣虫類魚類52種の生ある者が合掌して哀悼の意を表している。しかし、猫だけは姿が無い、これには、お釈迦様の不老不死の薬を猫がこぼしてしまったためというエピソードがある。 宝蔵寺の涅槃会当山の涅槃会は雅に、仏法のお正月のお祝い行事となっています。それは、3月13日の涅槃団子まるめからはじまります。近村集落のみなさんが集まってきて、身を清めてからワイワイガヤガヤとおしゃべりをしながら作業開始。子供からお年寄りまでみんなすきなことを話しながら協力しての団子作り。普段なかなか世代を超えて大勢の人と会話する事が少なくなってきた今日この頃、子供がこうした環境のなかで社会に調和していくことを学んでいってくれたらなーと思う。 まるめたらすぐに大鍋で煮る。この時の煮加減は、団子がふあーり、ふあーりと浮いてくる位が丁度いい、生でも煮すぎてもいけない。煮あがったらすぐに冷水で冷やす。綺麗な半透明で光輝くように出来ればOK。出来あがったばかりの涅槃団子は湿気の多い寒い部屋で芯から自然に乾燥。温風で強制的に乾燥させるとひび割れができる。うまく出来あがった団子はキラキラ光ってとても美しいものです。 宝蔵寺涅槃会涅槃会は3月15日10時より始ります。お檀家さんだけでなく、近村集落の人達は三々五々集まって来ます。 本堂には涅槃図をかかげ、涅槃団子、花をお供えした祭壇をしつらえ涅槃会の法要と説法を行います。そのあと団子まきが行われるのですが、現在は衛生上から袋に入れた涅槃団子をあらかじめ用意しておいて皆様のお配りしています。 法要が終了すると、仏法のお正月ということでお祝い膳の御斎となります。当然お祝いですのでお酒も少々でます。この地方ではなんにつけてもお酒はつきものです。みなさんがいい気持ちになるまで酒宴は続きます。 年々、この近在の集落も過疎のなり。また、涅槃会の周知も十分でないのかお参りの人が少なくなってきて寂しい気もします。皆様お誘い会わせのうえお越し下さい。
除夜の鐘除夜の鐘はなぜつくか除夜とは大晦日の夜のこと、つまり一年の終わりの日。この日に鐘をつくのは人間の108つの煩悩にちなんで、それを一つずつ救うために鳴らします。107つは旧年に、最後の一つは新年につくといわれています。 百八煩悩(ひゃくはちぼんのう)とは百八煩悩には、数え方に二説がある。
また、庶民的な考え方として 3. 庶民の暮らしはいつも火の車。四苦36・八苦72でたすと108になる。 上記3.については俗説であり論拠はないが、なるほどとうなずいてしまうところもある。 宝蔵寺除夜の鐘当寺の除夜の鐘は、12月31日午後11時頃から年を越すまで行われ、御檀家さんや近隣の人がそれぞれの思いを込めて自分で除夜の鐘を鳴らします。また、二年参りも兼ねて本堂に参拝下さいます。本堂では暖かいお神酒や、甘酒のふるまいを行っています。この行事は昭和55年に梵鐘が再建されてより続けられておりすっかり大晦日の恒例行事となっています。毎年さまざまな願いをもって訪れる人も少なくなく、子宝の祈願、合格祈願、家内安全、健康回復などのご利益があるとか・・・。当日は境内には蝋燭が闇を照らし、玄妙な梵鐘の音に幻想的な雰囲気は厳粛な気持ちにしてくれます。 梵鐘について先代の梵鐘先代の梵鐘は、その碑文によると延享元年7月17日(1744年)に造営されており、その2年前(寛保2年)に入寂した当寺第27世 音蓮社声誉上人(観良和尚)の菩提のために第28世 皆蓮社到誉上人(観及和尚)が「求之」したとなっている。 この鐘は長さ4尺(約132cm)、径2尺8寸2分(約94cm)といわれているので現在のもの(長さ180cm、径90cm)よりやや小さいものの当時としてはなかなか立派なものであった。作ったのは越之後州刈羽郡大窪之住 藤原氏 歌代六郎右エ門永秋、小熊巳之助と碑文にあるので現在の新潟市近郊(詳しく調査要)で作られたものである。 戦争により徴用延享元年に造営され幾多の時節をこえて鯨音をつたえてきた当時の梵鐘であったが、太平洋戦争末期の昭和19年に旧軍に兵器増産のための原料として、濡れ仏や他の真鍮の什器と共に徴用された。その後、原料として使用されたのかどうかは不明である。現在は徴用されたときに写されたのであろう写真のみが残されているのみである。 梵鐘の再建・・釣り鐘再び響く現在の梵鐘は、昭和55年(1980年)に完成している。檀家有志の「釣り鐘再建」の声により昭和53年に特別委員会(水落孫一朗委員長)を設けて檀家から寄付金を募り約2年の歳月をへての完成である。この釣り鐘は高さ1.8メートル、外円の直径90センチ、厚さ7センチ、重さ約750キロで鋳金製ある。制作は富山県高岡市の 老子であり、委員会は鋳込みの際の立会にわざわざこの地を訪れている。また6月には、檀家代表約360人が参加して開眼供養も行われている。檀家代表約360名という数がその喜びの大きさをあらわしている。願主は第42世 誠蓮社実誉上人(隆道和尚)である。見出しの「釣り鐘再び響く」は昭和55年7月17日(木)の新潟日報の記事の見出しに使われた文である。 梵鐘碑文 光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨 「光明は遍く十方世界を照らし念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」 これは『観無量寿経』第九身心観文の文である。
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